何も無いより良いさ。Better than nothing. It’s your life.
“Better than nothing. It’s your life. Be smile no matter when.”
「何も無いより良いさ。これが私の人生。どんなときも笑っていよう。」
この一年もあっと言う間で、特に何も無かったと日々過ごしてきたのだけれど、思い返せばそれなりに事は起こったようです。
笹部の景観と環境を残すことで、きっと誰かの心が助かるはず。だからSasabaseという居場所づくりをやろうとしています。けれど、実際には大した進展もなく、思い描いたイメージには程遠い位置にあり、日々、己の非力さばかり感じています。
「思いあれど、口ばっかりじゃないか。」そんな風に自分で自分を責め、でも、時には、「いや、出来る範囲で頑張ってるさ」と己を甘やかしてみたり・・・。そんな何も生み出さない無益な無限ループを繰り返す。
「今まで生きた年数をこれからの人生で超えることは無い。」そんな現実に50歳過ぎて気付いて愕然としたのに…。
今年の5月2日の朝、父が自宅で急逝しました。
「いつもの時間になっても起きてこないね。」母と息子と何気ない会話。仕事の準備をしようと自分の部屋に行く途中、父の部屋を覗くと静かに眠っているように見えました。けれど、呼びかけても返事が無い。近寄ってゆすっても反応が無い。
逝ってしまったのだ、と、私の脳は理解しているのに、心は違うと反応する。頭と心はバラバラ。それでもちゃんと体は必要な行動を取る。僅かでも世帯主としての自覚があったからなのか? 妙に冷静な自分がいました。
救急車を呼び、病院で死亡確認。その後の警察の現場検証から葬儀の段取り、続いて母の遺族年金の手続きやら相続の手続き…諸々一切全て。忌引き休暇も取らずにこなしたのは、さて、どうしてだったのだろう。Sasabaseという居場所のメンテナンスもしていたと思うし…。
私は父と仲が悪く、殆ど会話を交わした記憶がありません。だから悲しむことも出来ず、冷徹な自分がそうさせたのかもしれません。
お葬式の前日、仏壇から父の遺書が見つかりました。数日前には無かった場所にそっと置いてあったのです。遺言に書かれた文字はとてもしっかりしていて最近書かれたものでないようでした。多分、7年前の食道がんの手術の前に書いていたのだと思います。そして、丁寧に三つ折りにされた書の裏面には震える手で必死で書いたと思われる母への感謝の言葉が記されていました。きっと死期を察した父が力を振り絞って記し、封をして仏壇に置いたのでしょう。
私は父を亡くしても、一粒の涙もこぼすことが出来ませんでした。けれど、半年以上が過ぎ、少しずつ気付いたり思い出したことはあります。
小学生の頃までは、父と仲が良かった。日曜大工の手伝いは弟ではなく私だった。ノコギリの使い方や釘の打ち方は父から教わった。カメラ好きの父の影響でお年玉を貯めてカメラを買い、一緒に押し入れに籠って現像した。夏の海で日焼けした父の背中の皮を剥いた。最初に英語を教えてくれたのは父だった。土曜日のお昼は一緒にインスタントラーメンを食べ吉本を見た。テレビでプロレスを見てアントニオ猪木を応援した。阪神タイガースも一緒に応援した。隣のニワトリに突かれたと泣いて帰ったら、父がニワトリを蹴りに行った。
とても自己中心的な父で許せないと思う事がたくさんあったのだけれど、本当は、家族を大切に思う優しい人だったのでしょう。
母は先祖代々、笹部の人間ですが、父は八尾出身です。けれど、八尾のお墓には殆ど参らず…、なのに、「僕は笹部の人間じゃない。」と時折、口にしていました。
そんな父も晩年は窓の外に広がる笹部の風景を眺めながら「この景色がいいんだよな‥」としみじみと呟いていたようです。
カメラが趣味だった父。父の写真は病院の待合室などに飾られていましたが、父自身の遺影と母の遺影も遺していました。大量に遺していった写真も時間を見つけて整理してみようと思います。そして遺品として残されたカメラ。これも使いこなせるようになったら良いのですが…。
父の死と残された母との会話で気づいたこと。
この都会に近い里山「笹部」を維持していくには、信念と覚悟がいるけれど、思いに共感してくれる人への感謝の気持ちを忘れず、何かと比べて評価するのでなく、小さな一歩でも進めていることをプライドにしよう。
世帯主として生計をたてるために会社で働く。それも私のプライド。けれど「会社員しながらなので、Sasabaseのことも地域のことも大してできない。」とつい言ってしまう。本当にそうなんだけど、じゃ、会社員じゃ無ければ本当に確実に出来るのか? 違うよね…。実際に出来るのかはやってみないと分からない。
だから、今は、実際に出来ることは「やります。やってます。」と言い、「こうしたい。」という思いは堂々と言い続けよう。そう思います。
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